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「絶海にあらず」 北方謙三著 [歴史小説]

「藤原純友」とは何者だったのか。それは、時の権力者が自身の得になるように管理・統制した経済体制を打破すべく活動した者である


絶海にあらず〈上〉

絶海にあらず〈上〉

  • 作者: 北方 謙三
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: 単行本

藤原純友(ふじわらのすみとも)って?

本書は藤原純友を主人公とする小説である。藤原純友とは何者か。<多くの人にとって、彼は日本史の教科書の一ページを埋めるだけの存在であり、テストのために暗記する対象であるにすぎない。

「藤原純友の乱」なる反乱を939年に起こした首謀者であり、藤原という性からして、時の権力者である藤原氏一門に属する者ではあるようだ。彼のような、権力者側の人間がわざわざ背いたのは何故なのか。彼に何があったのか。何を見たのか。それに応えるのが本書である。

権力者に管理・統制された経済

平安中期に藤原氏の傍流の家系として生まれたのが純友だった。彼は出世に興味が無く、京都の学舎で学問と武芸に打ち込んでいた。しかし、あることがきっかけとなり、権力者側の人間の一人に目をかけられ、地方長官の副官として伊予(現在の愛媛県)に派遣されることになった。純友が伊予で見たものは、豊かな自然の恵みであった。一方で、その恵みを存分に流通させることによって国全体を富ませることを阻む政治体制であった。

海の通路を活かして存分に交易を行わせることによって国全体を富ませることをのぞまない勢力がある。それが藤原氏であった。彼らが日本を支配しており、ゆえに地方の豪族も彼らには逆らえない。伊予で権勢を誇っている一族は常に藤原氏のことを気にかけながら生きていかなくてはならないのであり、その意味で自由に自らの権力を活用することができない。統制されている。

藤原氏は外国(中国)との貿易の利益を一手に引き受けており、それ以外の勢力が利益を得ることを排除している。さらには、流通を統制することによって商業の利益を藤原氏が最も得られるようにしている。その仕組みのおかげで、伊予の自然の恵みが海の道を通って日本国全体へと行き渡ることはなくなっているのだった。せっかく伊予という国を支配している豪族であっても藤原氏には逆らえない。ゆえに伊予で交易および関連の商いをして生きている人々の生活も苦しいままである。

純友は、このような支配体制を敏感に察知したのだった。実際に伊予の国を自らの足で山から海へと渡り歩き、そこで生きる様々な人々と交流を重ねることによって。伊予の海を気に入った純友は、己の本分が海にあることを知り、海で自由に生きることをのぞむようになる。そして、自由に生きることを阻んでいるものに対して戦いを挑むことになった。ただし、明確に藤原氏に逆らうことを宣言したのではなくて、徐々に今の体制を突き崩していくことを選んだのだった。それは成功し、人々の暮らしが豊かになり始めた――以上が上巻までのあらすじである。

支配的で陰湿な人間関係

実際に読んでみると、以上のあらすじを物語としてきちんと展開されているから楽しく読み進むことがでる。私が特に面白いと思ったのは、伊予で一番の権力者である豪族の描かれ方である。彼らは自然に恵まれた伊予を支配しているが、常に藤原氏のご機嫌を伺いながら生きていかなくてはならない。また、その豪族の当主は名目上はナンバーワンの地位であり、偉いはずなのだが、隠居しつつも院政をしきながら息子への影響力を保持している父親という存在がある。父親には息子が跡を継ぐまでに築いてきた実績があり、それは隠居しても消えるものではない。

その象徴として、当主のそばにいて、家の世話をする係りの者がいる。この世話係は当主が任命したものではない。父親が当主のために用意したものであり、子供の頃からそばにいるのだ。子供の頃からそばにいて、自身の過去の様々な弱みなども握っているであろう者が身近にいる。彼は父親が任命した者である。だから彼を解任することはできない。世話係だからといって簡単には首にはできないのである。こうして、地方一の豪族といえども、常に上の者を意識しながら生活しなくてはならない。実に陰湿な管理体制である。

そして、彼らの上には藤原氏がいて、彼らの自然の恵みを存分に活かすことを許さない。恵みが日本国全体に存分に行き渡ることもない。

自由を求める

このような世界にやってきたのが藤原純友なのだ。彼が手始めにやったこと。それは、海の道を自由にし、経済を活発にすることであった。この影響は既に藤原氏も察知している。一体どうなるのか。続きは下巻を読んで確かめることにしよう。・・・と言ったのは、実はまだ私は下巻を読んでいないからなのだ。きっと面白いだろうから楽しみにしている。

ちなみに、次に引用する文章(小林宏という人のもの)が、この小説について面白く意味づけているので紹介したい。

「20世紀研究会」講義ノート 2005年8月26日から転載開始)

「絶海にあらず」は藤原純友を題材としている。平安朝初期に藤原氏は中国と貿易して儲けた。唐物(からもの)貿易と言う。儲けた金で藤原氏は権力を得た。さらに庶民の必要物資の全国への流通を禁止した。品物を少なくしておいた方が商人が儲かるからである。これに対して純友は怒り、庶民のための流通を盛んにさせようとした。唐物を運ぶ船をどんどん襲ったのである。彼は単なる海賊ではなかったのだ。同じく庶民の為を思い、同じ唐物貿易でも平清盛と藤原純友ではその行動は全く違っていたのである。

唐物貿易とは今の自由貿易である。本来なら自由貿易を行えば国内流通が活発になり庶民が楽になる。しかし、グローバリズムに乗った自由貿易では権力者のみが富む。庶民は年金すら危うくなる。どこかで自由貿易の主旨と反したことをやっているのである。

(転載終了)


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