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曹操は冷酷な簒奪者だったのか?諸葛亮は本当に忠義と至誠の人だったのか?三国志像を根本的に変えさせる『三国志逍遥』 中村愿 著 [歴史]

本書の大きなテーマとして歴史の捉え直しがあり、特に曹操と諸葛亮の実像に迫る部分が非常に興味深い。

著者によれば、曹操とは献帝を迫害し漢朝を滅亡に向かわせ、それに心を痛める配下の荀彧に自殺を命じるような冷酷な男ではない。それは信頼の置けない資料によって作られた虚像である。著者は後世の裴松之による注釈や、後漢書などのおかしな部分を排し、同時代を生きた陳寿の記述を中心にして、曹操像を構築し直している。曹操が詩文に託した天下(世の中の人々)への誠実な思い、それを理解していた献帝との心の交流、その結果として成された禅譲(史上稀な平和裏に行われた禅譲であるという)などについて詳細に検討し、曹操の実像に迫っている。また、どのようにして歴史が歪められ、結果として曹操が悪漢とされていったのかというプロセスも細かく検討されており、興味深い。

著者は曹操を賞賛するだけではない。曹操は家臣の様々な告発を受け、その中でバランスが取れずに揺れ動いていく。その結果、強引に処刑・追放される清廉な家臣達がいたのだ。こういった悲劇の物語を、陳寿は史記における同様の悲劇を踏まえて記しており、司馬遷を継承しているのだ。

諸葛亮も大胆に捉えされている。彼の『出師の表』は「忠誠心と至誠の場があふれている」名文ではなく、実は己の勝手な理想を蜀の人々に押し付けるための巧妙な脅迫文であり、『後出師の表』は、史上稀に見る無責任な表明文として非難される。その理由を著者は説得力のある形で述べており、目から鱗が落ちる。読者は新たに諸葛亮像を作り直すことを迫られるであろう。

また、たびたび引用されている三国志の漢文は非常に現代的な日本語によって書き下されている。例えば次のような具合である。

太祖(そうそう)は少(おさなく)して機警(えいびん)、権数(はかりごと)に有(た)け、而(しか)も任侠(おとこぎ)があって放蕩(あそびにふけ)り、行業(これというしごと)に治(つかなか)った。故(ゆえ)に世人(せけんのひと)は、之(かれ)が奇(すぐれたじんぶつ)だとは未(おもわなか)った。

このように漢文がいきいきとした現代文として書き下されており、漢文を現代に新たな形として蘇らせる試みとして注目したい。

後漢書や裴松之の注釈などにとらわれない、真実の三国志に迫る試みとして非常に興味深い作品である。ここから議論が盛んになることを期待する。

目次

1章 中国史書の魅力
2章 人の世の巡り合わせ
3章 禅譲のふるさと
4章 歴史を歪めるのは誰か
5章 『魏書』―短篇小説の味わい
6章 『蜀書』―諸葛亮、是か非か
7章 『呉書』―“赤壁の戦い”の行方


三國志逍遙



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