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「原因を説明することは、理性による合理化・正当化ではない」。この言葉が意味するものは何か? [政治・経済思想]

要旨:Reason(理性)という言葉が持つ意味を、ナルニア国物語の著者であるC.S.ルイスの言葉"An explanation of cause is not a justification by reason"を通して考える。reasonは主体的な説明であり、淡々と「なぜか」を説明するものではない。Justify(自分のしたこと・言ったことを正当化すること/正しいと証明すること)することがreasonの本質であり、だからこそ合理主義は過激なものにもなり得るのだ。


原因を説明することと理性による正当化の違いとは

 上記の英文"An explanation of cause is not a justification by reason"は「ナルニア国物語」の作者、C.S.ルイスによるものである。私がインターネットでreasonについて調べている内にたまたま出くわした文だ。この文は有名なものらしく、Googleで検索をかけると2月17日現在1,050件ヒットする。

 このルイスによる言葉はreasonという言葉の意味を良く表していると思う。そのことを知る上で、次の質問と応答が参考になる。

WikiAnswers.com該当部分から引用開始)

Q:What does this quote mean An explanation of cause is not a justification by reason?

A:explaining why something happened does not justify the occurrence

example: my boss/teacher/someone makes me angry and I'm already in a bad mood so I kill them. this explains why, but does not make the act right or correct when using pure reasoning rather than emotion

(引用終了)

 以上のやりとりを私が訳すと次のようになる。

 質問:「原因を説明することは理性による合理化・正当化ではない」という引用文は何を意味するのですか?

 答え:なぜ物事が起きたのかについて説明することは、その起きた出来事を合理化・正当化することではないということです。

 例をあげます。私の上司あるいは先生が私を怒らせました。私はその時機嫌が悪かったので彼を殺してしまいました。このことは「なぜか」を説明するものです。ですが、感情を抑えて純粋に理性を使うことによって、自分の行いを正しいとか適切であったとするものではありません。

 以上が私による訳である。私はこのやりとりはreasonとjustifyという言葉の意味をよく表していると思う。

理性はつじつま合わせを行う

 私は、先のルイスの文は、reasonという言葉の意味をよく表していると思う。「理性による正当化」つまり”justification by reason”と「原因を説明すること」とは異なることなのだ。それは理性の仕事が主体的な説明であり、受身の姿勢で淡々と行うものではないことを示している。先の例で言えば、自分が上司を殺してしまったのは、ただ単に機嫌が悪かったからだったというだけで済ますものではないということだ。理性によって自分の行いを「正しかった」とか「適切であった」と言うためには、自分を正当化しなくてはならない。日頃から上司が自分に対してひどいことをしていたから、いじめていたから、さらには、上司が自分を殺そうとしていたから、といった具合の理由を示すことが理性の仕事であるということになる。このようなことが理性の仕事であると、先の回答者は言ってるのだ。

 実際に英英辞典でreasonの意味を調べてみればわかるが、reasonはしばしばjustifyすることであるとされている。そしてjustifyとは自分を正当化することであったり、自分の正しさを証明することでもある。だから、これがreasonの仕事であると私は考える。

reasonは二つの事柄をダイレクトに結びつける

 バスに乗り遅れて学校を遅刻したというケースでreasonについて考えてみよう。先生に問われる。どうして遅刻したのかと。あなたは答える。いつも乗っていくバスに乗り遅れたからです。この場合は「バスに乗り遅れたこと」が「遅刻した」ことのreason:理由となる。バスに乗り遅れさえしなければ、ちゃんと学校に定刻通りに着くことができたと言ってるわけだ。

 「バスに乗り遅れたから、遅刻したのです」とはっきりと明言しているのであり、これこそが直接の原因であると宣言しているである。だから、「自分はバスにちゃんと間に合うようにすることができたのだけど、それをしなかった、これが直接の原因であり、自分が悪かったのだ」あるいは「バスに乗り遅れたことが直接の原因だ。自分が悪いのではなくて、バスに乗りにいく途中で妨害が入ってしまって、どうしても間に合わなかったのだ」といった具合に「バスに乗れなかったことが、遅刻の直接の原因である」自分の行動を意味づけているわけだ。

 私がこのように考えるに至った理由は、政治経済学者の副島隆彦が理性の意味を「うろうろ歩き回らないで、二点間の最短距離をまっすぐに歩くこと」としていたのを知ったからだ。だから理由という言葉の持つ意味も、そういった直接性を有しているはずだと考えたのだった。

 これに関連して、私のアメリカ人ネイティブの女の子である友人・ダイナと次のようなことを議論をしことがある。

 私:「僕の先生はこう言った。reasonは2点間のつながりをダイレクトに説明するものだ、と。だから、もし君が遅れたことの説明が"今日はバスに乗り遅れた"ことであるなら、君はそれだけを言えばいい。もし君がこの説明に、さらに色々と追加するとしよう。"私はとてもグズなのです"とか"今日は朝食をとらなかったので疲れていました"といった具合に。こうなったら、もうreasonとは言えないと僕は思う」

 ダイナ:「ええ、そう思う。そのケースだと、それはexcuseになるんじゃないかな」

 私:「君が遅れたことは、数多くのcausesによって起きることだ。だから、そういったことはもうreasonとは言えない」

 ダイナ:「そうね。それと・・・さっきの"excuse"についてだけど。これって興味深い言葉じゃないかしら。この場合、悪いことの類よね(なぜなら、もちろん、グズな人間であることや、朝食をとらないことは避けることができるから)。でも、それはreasonとは全く言えない。どうしてかと言うと、さっきの"reason"は、結局のところ、バスに乗り遅れたということでしかないから。」

 このように「バスに乗り遅れたことが遅刻した理由だ」と直接性を明言したからには、この理由にさらに「僕はグズなんです」とか「今日は気分が悪くて」などと後付けで加えても、それは説得力を持たない。なぜなら、グズであろうと気分が悪かろうと、バスにちゃんと間に合うようになれば必ず遅刻しないで済んだわけだから。だからそういった理由を言うのならば最初から言わなくてはならない。「そもそもグズであるから、今日も遅刻したのだ」とか「今日は気分が悪くて、バスに時間通りに乗ることは無理だったのだ」という具合に自分を正当化しなくてはならない。こうすれば、遅刻したことと、それら理由が直接に・ダイレクトに結び合わせられることになり、意味が強くなる。

ルイスはreasonによる過激な正当化をたしなめたのか?

 したがってreasonとは淡々と原因を述べるものではなく、積極果敢に世界を理屈づけることなのだ。そもそも昔からヨーロッパで理性が称揚されてきたのは、彼らが世界を積極的に理屈づけ、神の意志を読み取ったり神の目から世界を見たかったからである。つまり、世界の論理や法則といった客観的な真理を見出すべく果敢にreasonを駆使してきたのである。だからこそ、フランス革命を実践したインテリ達はreasonを神として祭り上げたのだし、秘密結社イルミナティの創始者アダム・ヴァイスハウプトはreasonを唯一の宗教法典としたのである。そして、彼らは自分たちは客観的な真理をreasonによって見出したのだと信じたからこそ自信満々であったのであり、だからこそフランス革命においては反対派をどんどん殺すことができたし、イルミナティの目的は既存の民族・宗教・結婚制度・私有財産を一切無くしてしまうという過激過ぎるものだったのである。そして彼らは、自分のそういった行動と目的をreasonによってjustifyできていたはずである。

 このような性質を持つreasonの矛先が王制やカソリック教会といった既存の権力と権威に向けられたのは当然であり、だからこそ宗教の側は行き過ぎたrationalismすなわり合理主義・理性主義をたしなめる立場にあるのではないか。ルイスによる先の文がどのような文脈に置かれているのか私は知らないが、彼はキリスト教徒であったから、その立場からの行き過ぎたreasonへの批判なのかもしれない。神の深遠な意志が反映された世界を、reasonによって簡単に自己正当化:justificationしてはならない、といった具合に。



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Reason(理性・理由)とは何なのか?思考能力としての理性と、何かの行動や事実の裏にある理由とは、一体どういうつながりがあるのか? [政治・経済思想]



金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ

金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ

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  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2005/01
  • メディア: 単行本



Reason:「うろうろ歩き回らないで、二点間の最短距離をまっすぐに歩くこと」

 私は、著名な政治経済学者の副島隆彦によるReasonの定義(↑)を読み、改めてReasonの本当の意味がわかったと思った。そして正しいかどうかを確かめるべく、アメリカ人ネイティブの女の子・ダイナとReasonの意味を色々と議論した。

 ダイナはまだ18歳だけど、これから大学で英語を専攻する聡明な女性である。彼女に英語の文法について質問すると、いつも彼女の視点からわかりやすく簡潔な説明を与えてくれる。だから私は、ダイナなら何か教えてくれるはずだと考えたのだ。

 議論の結果、副島隆彦によるReasonの定義が正しいと判断した私は、彼にメールを送り、自分のReasonに対する考えを読んでいただくことにした。その結果、「君の探求は素晴らしい。今度は、同語源であるratio ,rationalism ラチオ、ラシオナリズム を、研究してみてください。」というお返事をいただいた。

 私は副島隆彦を先生と呼んでいる。なぜなら、彼から多くのことを学び、その多くを正しいと感じ、説得力も感じているからだ。私は学者でも何でもないただの無職で病気持ちの男であるけれど、私が先生と仰いでいる氏から誉めていただき、光栄に思いました。

 以下に、私が副島先生に送ったメールの文面を転載する。ReasonとReasonableについての私とダイナの議論と、それを踏まえた私の追加の指摘がある。

英語ネイティブの女の子との議論でわかったこと

(転載開始。ただし太字のタイトル部分は後付けで記したものです。)


 もともとは、ぼやきにてアイン・ランドのreasonの考え方を吉田(Y2J)さんが紹介されている論文を拝読し、そこから改めてreasonの意味について学び直したことがきっかけです。私は先生の「金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ」を読んでいたのですが、なぜだか先生による理性の明確な定義が頭にしっかりと入っていなかったようです。

 吉田さんは次のように先生の定義を紹介しています。「うろうろ歩き回らないで、二点間の最短距離をまっすぐに歩くこと」。私はこれを読み、「ああ、そういうことだったのか!」と改めて納得しました。そして、日本語でもよく用いられている「理由」という言葉の意味がわかった気がしました。何かを自分がした「理由」も、まさに先生の定義通りなのだと思いました。

 私はこの直感を確かめるべく、ダイナにスカイプのテキストチャットで質問をしました。彼女なら何か教えてくれると思ったからです。私の拙い英語で何とかやりとりしました。

遅刻した理由は、ただ一つ

 私は「ある状況を思い浮かべて欲しい。君は学校の教室に着くのが遅れた。だから先生は、なぜ遅れたのかを尋ねるんだ。君はなぜ遅れたのかを先生に言わなくてはならない。例えば、いつも乗っていくバスに乗り遅れたと言う。僕はこの種のexplanationはreasonだと思う。正しいかい?」と言いました。

 ダイナは「ええ、そうね」と言いました。

 私:「あるいは、もし君が、"私は頭の病気を持っていて、毎朝早起きするのはとても辛いのです。"と言ったら、それはjustification(注記。私は自己正当化、弁明といった意味でこの言葉を用いました)だ。僕はこの種のjustificationもreasonだと思う。正しいかい?」

 ダイナ:「ええ、そう思う」

 私:「僕の先生はこう言った。reasonは2点間のつながりをダイレクトに説明するものだ、と。だから、もし君が遅れたことの説明が"今日はバスに乗り遅れた"ことであるなら、君はそれだけを言えばいい。もし君がこの説明に、さらに色々と追加するとしよう。"私はとてもグズなのです"とか"今日は朝食をとらなかったので疲れていました"といった具合に。こうなったら、もうreasonとは言えないと僕は思う」

 ダイナ:「ええ、そう思う。そのケースだと、それはexcuseになるんじゃないかな」

 私:「君が遅れたことは、数多くのcausesによって起きることだ。だから、そういったことはもうreasonとは言えない」

 ダイナ:「そうね。それと・・・さっきの"excuse"についてだけど。これって興味深い言葉じゃないかしら。この場合、悪いことの類よね(なぜなら、もちろん、グズな人間であることや、朝食をとらないことは避けることができるから)。でも、それはreasonとは全く言えない。どうしてかと言うと、さっきの"reason"は、結局のところ、バスに乗り遅れたということでしかないから。」

 私:「ああ、僕もそう思う。なぜって、もし君がバスにちゃんと乗れていたのなら、君は遅れてないんだから。君がもしグズな人間でも、あるいは朝食をとってなくても、君は遅れてないんだよ。正しいかい?」

 ダイナ:「正しいわ」

 私:「そうなると、僕の先生が言ってることはとても正しいように思えるよ。君も、僕の先生が言ったことは正しいと思うかい?」

 ダイナ:「ええ、そう思う。^^」

 私:「おお、すげ〜。自信持って言えるけど、たいがいの日本人はreasonの意味をこんな風には理解してないよ!」

 ダイナ:「あ〜、そうね、そんな風に考えると、reasonの意味を理解するのがどうして難しいのかが、私にもわかるわ。私はそれを知ってるのが当然だと思ってるんだと思う。なぜって私は英語を話すから、はは」

 私:「僕が考えるに、もし、ある一つのことが起きたら、それには数多くの(あるいは無限の)causesがあるんだ。でもreasonはもっとシンプルなもので、僕の先生が言ってることのようなものなんだ。正しい?」

 ダイナ:「ええ、そう思う。多くの事柄によって、そのreasonができあがるのかもしれない。でも、何かが引き起こした・作り上げた"reason" は、たった一つだけ。(注記。以上の日本語訳に自信が持てないので、元の英文を貼り付けます。Maybe a lot of things caused the reason, but there is only one"reason" that something happened.)

 私:「う〜ん、今僕は、英語を話す人は何かを説明するのが上手いなあ、あんな具合に、って思ってるよ。君はほんとに18歳なの?はは」

 ダイナ:「ははは。私は年上の人のようにふるまってるんだと思う」

Reasonと金儲けのつながり

 私:「僕の先生はこうも言った。"reasonはお金儲けをしたい・利益を得たいという欲望である"と。この言葉を最初見たとき、どうしてなんだろうと不思議に思ったよ。でも今はその意味がわかるし、正しいと思う。例えばね、もし君がたくさんのお金を手にしたいなら、君は、どうやってそれを最も効率的な方法、あるいは最も早い方法で実現できるかを、'directly'(直接に)考えるでしょ?」

 ダイナ:「あ〜、ふむむ・・」

 私:「もし、ある商人がそんな風に考えて、たくさんのお金を直接に・スピーディに手にしたいという欲望を持っていたら、彼は彼のreasonを使ってる。正しい?」

 ダイナ:「ふむむ、ええ、そう思う・・・」

「理性を使って自分をコントロールする」とは何か?

 私:「面白いな。なぜって、たいていの人は思考能力としてのreasonを、ただの哲学向けのものか、そういった類のもの向けのものだと思ってるから。reasonという言葉を使ってる文として最も有名なのはこんなだよ。"今俺は女の体をさわりたいけど、今はそれは良くないから、reasonを使って自分を抑えないといけない"。これが日本式のreason(日本語で理性)の使い方なんだよ。どう思う?」

 ダイナ:「あ〜・・・、それが同じreasonという言葉なのに、別の意味なのが面白いかも(私はほんとに、そんなことについて考えたことがなかった)。でも、とても似ているとも言えるわ・・・」(注記。訳に自信がないので、元の英文を貼り付けます。Ah... I guess it's interesting that it's the same word, but a different meaning. (I hadn't really thought about that before.) But at the same time, it is a very similar meaning...)

 私:「日本人は、reasonは(上に書いた例にあるように)感情をコントロールするという意味を持ってると考えてると、僕は思うよ」

 ダイナ:「あ〜」

 私:「もし、その女にさわりたい男が、さわってしまったら刑務所行きだと考えてるなら、彼は彼のreasonを使ってると言える。正しい?」

 ダイナ:「そうね」

 私:「もしその男がそんな風には考えないで、ただ単に彼の感情をコントロールしているだけなら、彼は彼のreasonを使ってるって言えるかい?」

 ダイナ:「ふむむ、私はそんな設定で考えたことなかったけど。ええ、reasonを使ってると思うわ。なぜなら、彼はまだ、感情をコントロールするために"reasonを使っている"と私は思うから」

 私:「もし彼が、"今さわったら、刑務所行きだ"とか"今さわったら、仕事を失う"とかって考えてるなら、彼はreasonを使ってると思うんだよ」

 ダイナ:「そうね」

 私:「もし彼がただ単に、女の体をさわることは非道徳的だとか、さわったら女が悲しむとかって考えてるだけなら、それはただ単に善良に・道徳的に考えてるだけであって、彼はreasonを使ってないと僕は思うんだよ」

 ダイナ:「ふむむ。私は、あなたの言うことは正しいと思う」

 私:「今思ったんだけど、多くの日本人は、reasonは、たた単に彼らの欲望や感情を道徳心と一緒にコントロールするものだと考えてるよ。あるいは、何か高尚に見えるようなことを考えることがreasonだと」

 ダイナ:「へ〜、面白いね」

 私:「うん、いつか君がマンガやアニメを見てる時に、男が欲望をコントロールするために"reason(理性)"を使ってる場面があると思うよ。これが日本では本当に有名な例だから」

 ダイナ:「へ〜、わかった」

Reasonableな値段とは?

 私:「僕は、あの直接性がreasonの意味を表してると思う。だから、reasonはお金儲けと利益を得る欲望なんだよ。それと、今僕は "reasonable price"の意味がわかった。もし、ある値段に不要なコストがたくさん含まれてるなら、それはreasonableとは言えないんだ。それで、もし、ある値段に少ないコストしかないなら、それはreasonableだ。正しい?」

 ダイナ:「ええ、そう思う。」

 私:「だから、そのreasonableな値段は、その品物が作られた工場とお店とが直接に結びつけられることによって、できあがったんだよ。正しいかい?」

ダイナ:「ええ、そう思う。それと、例えば、もしあるお店が500円で飲み物を売っているとするわね。でもあなたはそれを自動販売機で100円で買えるわけ。その時それは"unreasonable"って言える。なぜなら、それは(自動販売機で売られている)通常の値段より高いから。」

 私:「そうだね、500円払って買うのは、買う人にとってはunreasonableだ。なぜなら、彼らは品物に不要なコストが含まれていると思うし、それは'direct'な値段じゃないからだ。正しい?」

 ダイナ:「うん」

 私:「でも売り手からすれば、人々が500円払って毎日なんの不平不満もなくその品物を買ってくれるなら、それは彼にとってはすごく reasonableって言える。正しいかい?」

 ダイナ:「ふむむ、そうね、あなたはそれをreasonableとは言えないんじゃないかと思う(注記。元の英文は、I don't think you would call it "reasonable")。なぜって、それはまだreasonableとは言えないから(その売り手にとっては良い状態なんだろうけど、それはunreasonableよ。なぜって、おかしいもの。その値段が通常と同じかそれ以下なら、もっとたくさんの人が買うことになるのが当然でしょう)。 "reasonable"という言葉は、"logical"といった意味にかなり近いと私は思うから、そんな風に考えるわけ」

 私:「うん、'僕だったら'それをreasonableとは言わないと思うよ。でも、その売り手はその値段をreasonableって言うだろうと僕は思うよ」

 ダイナ:「はは、そうかも・・・。でもそうなると、"reasonable"っていう言葉はふさわしくなくなっていくと思うんだけど。(もし売り手が、 "(100円で売ってる)自動販売機にわざわざ行くよりも、ここで買った方が楽でしょう?その利便性にあなたたちはお金を払ってるわけですよ"と主張しするなら、買い手側の人たちはそれを"reasonable"って言えるかもしれないけど)」

 私:「そうだね、僕も同じ考えだ。僕が示した例はちょっと不自然だ。でも、もし、買い手側が何の不満も疑問もなく500円払って買ってくれることを、売り手が自明で確実なことだとわかっているなら、500円で売ることは彼にとってはreasonableなんだと僕は思うよ。」

 ダイナ:「ええ、そんな風に考えると、おかしくないわね」

 私:「なぜなら、その時売り手は値段と品物を直接に結びつけることができるからさ」

Reasonはダイレクトに簡潔に法則と理由を見出し、自己を正当化する

 以上が私とダイナの議論です。

 こうして考えてみると、reasonとは主体的・能動的な説明や自己正当化であることがわかります。3年ほど前に、副島先生に触発されて色々な英英辞典でreasonの意味を調べていた時に、explanationとjustificationという言葉によってreasonの意味が説明されていたことが思い出されます。

 フランス革命の時に多くのインテリが理性を称揚した理由がわかります。ものごとを主体的に説明できる喜びと、それを元に自分の行動に明確に論理的な意味づけを与えることができる。これこそがreasonなのであり、時にはそれが利益欲望の精神にもなるのであり、それすらも正当化できるものなのだと思います。例えば、とにかく金儲けすることが社会全体の幸せにもつながるという具合に正当化することもできます。経済学こそは、まさにreasonの積み重ねだと思います。


(転載終了)

 なぜReasonが利益欲望の精神とも言えるのか

 これに対して今、少しだけ追加したいことがある。なぜReasonが利益欲望の精神でもあるのか?ということについて、もう少し考えてみたいのだ。

 シンプルである。「こうすれば、お金が儲かる」という法則を見出すのがReasonであるからだ。世の中には様々な事象に満ちており、一つの物事の背後には無限の原因があるけれど、そういう複雑な世界の中に、一本の線を見出すのである。「こうすれば、確かにお金がどんどん儲かる」。そういうことなのだ。

 なるほど、このようなことの探求・追求・実践は、宗教家から嫌がられるはずであり、近代資本主義が生まれるまでに長い時間がかかったこともわかるのだ。
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