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共和制(Republic System)とは何か?民主制とはどう違うのか。 [政治・経済評論]


ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ〈下〉 (講談社プラスアルファ文庫)

ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ〈下〉 (講談社プラスアルファ文庫)

  • 作者: 副島 隆彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/04
  • メディア: 文庫



あなたは民主制と共和制の区別が付くか?

 私は政治思想や歴史をかじってる(専門教育は受けてない)が、私と同じような趣向の人達は、果たして両者の区別がはっきりしているのだろうかと疑問に思うのだ。

 共和国と言えばフランスである。共和党と言えばアメリカである。それくらいなら私もわかっていた。イメージとしては、「君主制ではない」「暴力的な統治ではなさそうだ」「民主主義みたいな感じだ。似たようなもんじゃないの?」という感じが広く持たれているのではないだろうか?かつての私も多分、この程度のものだったと思う。

 私が共和制についての理解が深まったきっかけは、政治学者の副島隆彦による指摘を受けてのものだった。最初のきっかけは何だったろうか?たぶん、彼の著書『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ<下>』の中にある「共和政とは何か?」だったと思う。今から2〜3年前くらいにこの部分を読んだ。

 この本や、副島隆彦のウェブサイトでの共和制への言及を読んだりしていく内に、「共和制とは、代表者を選んで統治をさせるものであり、独裁ではない」という核となるイメージはつかんでいたようだ。

『銀河英雄伝説』の中における「共和主義者」

 そしてしばらく、共和制について考えることもしばらくなかったが、昨日ひょんなことから考え出すことになった。そして遂に、共和制とは何かについて頭がクリアになった。その学習の成果をここで披露し、よかったら皆さんの理解の役に立てばと思うわけです。

 実は今、動画投稿サイトYoutubeにて、人気アニメ『銀河英雄伝説』がアップロードされている。これは違反行為だから、たぶんすぐに削除されてしまうだろう。ただ、今回のアップが面白いのは、そこに英語字幕が付されていることである。たぶん英語ネイティブの方が日本語を翻訳し、他の多くの人の理解のためにアップしたのだろう。日本人の19歳の方がこの翻訳動画のアップロード者であるが、たぶん別の誰かがアップしたものの再アップであろう。

 それはともかく、このアニメは政治や戦争を扱ったものであり、ゆえにそれらの用語が頻出する。民主制と君主独裁制の2大国が互いに戦争をしあうのだが、どちらか一方のみが正義として描かれることはない。民主制の側は衆愚政治によって腐敗の極みに達しており、好戦的な政治家が民衆を戦争に駆り出してばかりいる。独裁国家の方は、民衆を専制で支配し、一部の貴族と血族のみが統治を独占しているが、その中で一部の有望な若者たちが現れる。彼らは民主主義者ではないが、腐敗した君主制を打倒し、民衆のためになる政治を行おうとしている。

 だから、民主制における腐敗を描き、「民主制によって選ばれた指導者が民衆に悪政を敷くことと、一部の貴族たちが民衆に悪政を敷くことの、どちらがタチが悪いのだろうか?」と民主主義の信奉者である主人公に自問させてしまうのである。

 そんなストーリーである。だからアニメの中に何度か「共和」という言葉が出てくる。私は全100話ぐらいの内の最初は10話くらいをざっと見ただけであるが、それでも二度は共和という言葉が語られていた。この使われ方が問題なのだ。

共和主義はDemocracyと訳し直された

 問題となるシーンは次の言葉が語られる所だ。「我々は共和主義者だ。捕虜を非人道的に扱うことはできん」。このセリフはそのまま訳すならRepublicanとするべきである。ところが字幕では、"Of course not.This is a Democracy."となっているのである。

 つまり、捕虜を人道的に扱うことはDemocracyなのであって、Republicではない。翻訳者はそのように判断したのだと私は考える。

 確かにそうなのだ。共和主義とは簡単に言えば、何人かの代表者によって統治を行うことであり、人道とは直接の関係はないのだ。たとえばローマの元老院(有力貴族による議会)は共和制であるが、このような一部の有力者による会議が人道と直接関係があると言えるだろうか?

 このような食い違いが起きるのは、我々日本人の共和制への理解が浅いからである。だから、これから共和制とは何かを先人の教えと辞書から学び、引用しようと思う。

では、共和制とは何か?

 まずは辞書の説明から。Encartaには共和つまりRepublicについての明確な説明がなされている。これを引用する。

(転載開始)

1. political system with elected representatives: a political system or form of government in which people elect representatives to exercise power for them

(転載終了)

 これが最も簡潔な定義である。「選ばれた代表者たちによる政治体制」であり、それによって「人々は代表者を選び、みんなの意志や意見を実行してもらう」わけである。

 なんだか民主主義っぽい感じがするが、焦点は「代表を選んで、その代表者たちが権力を行使する』という所に当てるべきである。この点を踏まえて次の2番目以降の定義を読むとイメージが具体化しやすいだろう。

(転載開始)

2. state with elected representatives: a country or other political unit whose government or political system is that of a republic

3. unit within larger country: a constituent political and territorial unit of a national federation or union

4. group with collective interests: a group of people who are considered to be equals and who have a collective interest, objective, or vocation ( formal )
the republic of letters

(転載終了)

 2は「選ばれた代表者たちが作り上げる体制」であり、国などの政府・政治の仕組みがそうなっている。

 3は(州などの)大きな政治単位が集まったものである。選挙権のある各州が集まって、政治を行おうとするわけだ。

 4は集団の利益を得るために活動するグループのことである。平等な権利を持つ人達が集まり、一つの共有する利益や目的や使命を果たそうとするわけだ。例として挙げられてる"the republic of letters"は、よく知らないけれど多分「文壇」とか「文芸協会」といった意味だろう。作家とかが集まって社会に対して働きかけようとしたり、影響力を持とうとするわけだ。

 以上でだいたいわかったのではないだろうか?共和とはつまり、何人かで集まって何かの権利を行使したり何かの利益を得ようとすることなのである。政治ならば、選ばれた代表者すなわち議員たちによる政治を行おうとすることである。つまり、独裁ではないのだ。

誰もが共和制に参加できるのではない

 ここまで来ると、なぜ銀河英雄伝説の英語字幕がRepubicからDemocracyに直されたのかもわかってきただろう。人道的に人々を扱うことと共和主義とは直接の関係はないのだ。もちろん共和制の国家はたいていは民主主義国家であるから、人道のイメージはある。だから「我々は共和主義者だ。捕虜を非人道的に扱うことはできん」としたのだろう。

 前掲書『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ〈下〉』では、2000年以上前のローマについて記されている。映画『スパルタカス』を基に共和主義や民主主義について深く論じている。以下しばらく、この本の内容を部分的にお伝えする。

 『スパルタカス』は奴隷の剣闘士であるスパルタカスが自由を求めて反乱を起こす映画である。この反乱が起きたのが紀元前73〜71年のこと。この時期は、古代ヨーロッパ世界全体の覇権国であったローマが共和政Republicから帝国Imperiumに移っていく過渡期であるとされる。つまり、有力貴族たちが構成する元老院と、新興軍人貴族が対立していた頃であり、軍人貴族の側が優勢になりつつあった時期だった。

 この軍人貴族がのちに皇帝となり、ローマを統治することになるのだが、皇帝だけがローマを統治していたのではなかった。富裕市民層(シチズン)の支持を受けた名門貴族による元老院と、軍人貴族の皇帝が争いあってきたのがローマの実態だった。

 元老院の選挙資格を持つのは富裕な市民だけであった。その辺の一般庶民ではない。富裕な市民しか政治に参加できなかったのである。

 以上が副島隆彦による指摘である。民主主義国家に付き物である三権分立や憲法典に基づく政治体制がどのように生み出されていったのか、その歴史についても副島隆彦は明確に述べている。政治に興味のある人におすすめです。

 こうして考えてみると、Republicとは、代表を選ぶ権利のある人達だけを厳選して選び直した人達の集まりということではないだろうか?だから、選挙権のある人は、たとえ民主主義国家であっても成年に達したものだけなのだ。子供にはRepublicに関わる資格はないというわけだ。とするとDemocracyとはRepublicの中に入る資格を多くの一般庶民にまで広げたものだと言えそうだ。だから民主主義国家には、一般庶民を広く保護する各種の権利が付き物なのである。


銀河英雄伝説 Vol.1

銀河英雄伝説 Vol.1

  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • メディア: DVD


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「アメリカに食い尽くされる日本―小泉政治の粉飾決算を暴く」森田実・副島隆彦著 [政治・経済評論]

現実の政治を動かしているものを人・金・イデオロギーなどのリアルな視点からとらえ、小泉政権を内部から分析する


アメリカに食い尽くされる日本―小泉政治の粉飾決算を暴く

アメリカに食い尽くされる日本―小泉政治の粉飾決算を暴く

  • 作者: 森田 実, 副島 隆彦
  • 出版社/メーカー: 日本文芸社
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本

アメリカによる日本支配の構図

本書は著名な政治評論家二人による小泉政権批判の書であり、次の時代を展望するものでもある。小泉政権のもたらした負の遺産だけを指摘し、嘆くだけではなく、日本が次の時代を明るく生きていくために何をすべきかも語るのである。

今や私も含めた一般の人々も、小泉政権がアメリカによって操られた属国としての政権であることは薄々感づいている。本書を読むことによって、いかに私達の代表が構成している(ことになっている)政府がアメリカによって影響を受け、翻弄されているかがわかるだろう。それは具体的にはどのようなことなのか。私が本書から学んだことをいくつか並べてみる。

・アメリカ政権との強い結びつきを持つ者が日本政界において強い影響力を持つことになる。日本におけるア メリカ人脈のボスになれる。

・政治家は自らのピンチをしのぐためにアメリカに助けを請い、助けてもらえる。しかしその見返りに、アメリカの要求を飲まざるを得なくなる。その一例として金融改革がある。

・官僚は若い内にアメリカに留学に出してもらい、そこで洗脳される。そして帰国し、彼らが日米交渉の主役となるのだ。アメリカの思想に染まり、それに従順な人々が交渉に当たるのだ。
 (この指摘を受けて私が思うに、おぼつかない英語力で短期間の内に必死で勉強するしかないのだから、様々な学説を幅広く検討したり、理論と現実の温度差を詳細に感じ取る暇はないだろう。くわえて、自らの立身出世のためもあって、どうしても流行りで主流で、今現在の政権に最も影響力を持っているようなことばかりを学んでしまうのではないだろうか。そしてそれは、アメリカの国益を強く反映したものであって、日本の国益ではないのである。)

・日本の財政危機とは、アメリカ従属の結果である。つまり、米国債を買ってアメリカ経済を支え続けなくてはならないのであり、それによって日本のマネーが流出するのである。ちなみにこのことは、副島隆彦は98年に発表した「日本の危機の本質」という著作において既に論じている。今でもマネー流出は続いているということになる。

他にも対米従属の構造が本書において様々に論じられているので、詳細は実際に読んでみて知っていただきたい。ただ本書は日本の暗い現実を指摘するのみではなく、未来の希望も論じている。それは具体的には小沢一郎による政権の実現であり、それによって成されるであろう対米従属からの脱却の試み、平和への試みである。また、何かときな臭い中国との関係であるが、これも一方では日中の平和を推進しようとする人々がいるのであり、中国の環境問題の解決のために日本の技術力で貢献できることがある。また、中国には親日的な政治家もいるのであることを忘れてはならない。

扇動され、利用される庶民

この中国との関係についても言えることなのだが、私達庶民は、政府の上層部の人間や、政府に深く絡むことで自らの利権を保持し強化しようとする人々によって狙われ、翻弄される。政府やマスコミが発表し、私達を刺激する反日・反中国の言説をそのまま受け取ってはならない。その言説の裏には何があるのか。誰が何を狙っているのか。誰が得をするのか。その言説を口にする人の背後には誰がいるのか。誰が金を出すのか。情報を出すのか。こういった視点が必要である。

こういったスタンスの重要性を説くのが副島隆彦であり、それに騙されるなとも説く。彼の情報分析は言説の表向きの意味の裏にあるものを教えてくれる。「騙される」とは例えば、憂国の情熱から中国を批判しただけなのに、それが日本と中国との戦争につながることである。それを望む人々がどうもいるらしいのであり、そうであれば、彼らは金と情報操作を駆使して一般大衆をどの方向に導こうとするのだろうか?こういった視点が必要なのだと私は思う。実際に戦争 が起きたら、駆り出されるのは一般の若い兵士達である。煽った人々ではない。

強大な権力を持った人々に利用されないために

私は副島隆彦の本を読むと、この世界が人間によって積極的に働きかけられてつくられているのだと実感する。つまり、金や情報、武力などの実際の権力を行使できる立場の人々によるせめぎ合いである。その結果が私達庶民に落とされてくる情報である。マスコミによる日本批判・中国批判の裏にあるのが前述のせめぎ合いなのである。ゆえに、それに疎い一般の大衆こそが利用されるのである。

したがって、世界の動きを上の視点からマクロにとらえ、表向きの言説、さらには制度や改革の背後にどのような人々のどのような思惑があるのかを理解し、その中にある金やイデオロギーとそれらに基づく権力の実際の有り様を分析することができる人材こそが、国民のために必要なのだ。私が思うに、副島隆彦こそはその人なのである。


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