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「図解雑学 諸葛孔明」渡邉義浩著 [歴史]

諸葛孔明 華麗な歴史絵巻(フィクション)の背景にあったのは、名士(有力なインテリ層)と将軍(強い武力を持つ人)相互のせめぎ合いであった。


図解雑学 諸葛孔明

図解雑学 諸葛孔明

  • 作 者: 渡邉 義浩
  • 出 版社/メーカー: ナツメ社
  • 発 売日: 2002/04
  • メ ディア: 単行本

 

本書は「三国志」の主人公である諸葛孔明について中国研究者の渡邉義浩が多角的に迫るものである。多角的とは何を意味するのかというと、三国志を武力や名声などの人間を動かす諸権力が織りなすものとして捉えているということであり、その意味で現実的なアプローチなのである。

以下、本書の内容に基づいて紹介していく。

名士という有力インテリ層

まず本書は、「名士」という概念を登場させる。名士とは何か。それは諸葛孔明や周瑜、さらには司馬懿や荀彧などの、日本人の間で「軍師」として呼び慣わされている人々である。これはもちろん、三国志演義という小説(フィクション)とテレビゲームの三国志ものによる影響が大きい。

彼らは仕える君主(王あるいは皇帝)のために進言し、戦争に勝つための作戦を提言したり、政務を司る人々であった。そして小説やゲームでは君主のために身を粉にして仕える忠義の臣として描かれている。ここまでは、NHKの大河ドラマに描かれているような程度のことである。

だが、彼ら軍師の背後にあったのは何なのか。彼らのイデオロギーとは何だったのか。彼らの名誉とは何だったのか。彼らの野望は何だったのか。彼らはどのような組織を作り上げていたのか。それはどのようなネットワークに基づくのか。そして、そういった彼らが作り上げていった権力の体制とは何だったのか。さらに、これが権力であった以上、同じく権力を有する君主とはどのような緊張関係にあったのだろうか?こういったというに応えるのが本書である。つまり、三国志という時代をリアルに捉えたい読者にこそお勧めできる内容なのだ。手軽に読み進めることができるコンパクトな体裁の本であるとはいえ、そこは侮ることはできないと言っておこう。

この意味で、中国の歴史をリアルに捉えている歴史学者・岡田英弘の著書に親しんでいる方々にもお勧めすることができる。

では名士について具体的に迫っていこう。名士とは次のようなものである。

(本書18ページから転載開始)

「名士」とは、知識人の間で名声を得て、それをもとに地域社会で支配階層を形成する人々のことである。「名士」の前身である豪族の支配勢力は出身地にしか及ばなかったが、名声を得て「名士」になると近隣地域にも影響力が及び、果ては、孔明が郷里から遠く離れた異郷の襄陽の地域社会で歓迎されたように、出身地域以外でも活躍の場が見出せたりもした。このような躍進を目論んで豪族達は「名士」になろうとした。君主の方でも広大な領域を支配するため、このような「名士」の協力が必要だった。さらに「名士」は彼らの仲間社会だけで情報を握り、状況を分析することができた。そのため、中国随一の兵法家であった曹操でさえ、情報を握る「名士」の協力が必要不可欠だったのである。

(転載終了)  

おそらく、この部分だけを読んだだけで三国志の謎が解明されたと感じる人は多いのではないだろうか。本書を読んだ私は三国志への理解が進み、世界が明らかになった。この時、三国志はただの小説やゲームから、人間社会の政治が生み出す産物としての色が濃くなる。

名士のネットワークなくして基盤は築けない

名士についてもっと具体的に迫ってみよう。曹操と劉備、さらには孫権の台頭の背景には彼ら名士があった。それはただ単に、彼らの個人的な知力が将軍達を助けたということではない。名士達の総合的なネットワークが将軍達を補助し、円滑な地域支配を促したということなのだ。

名士はただ単なる君主の寄生者ではなく、知識人達の間にある名声を元に地域社会を支配してきた人々である。そんな彼らが互いに交流しあい、誰が優れているかを評価し合う。さらには互いの地域の情報をやりとりし合う。つまり、孤立した存在なのでなく、ネットワークとして繋がっている存在であり、一大勢力なのだ。

私が思うに、これは中国の長い歴史が生み出した人々なのだ。つまり、学問の長い伝統によって中国の各地域に広くその成果が広まることになり、支配階層も強い影響を受けることになり、それによって学問的見地から人と交わり、勢力を築き上げるようになった。そういうことではないだろうか。

したがって彼らは理想を追い求め、ただ単に武力にものを言わせて威勢を貼るような将軍を嫌い、排撃しようとする。そのための政治活動を行なうのだ。そしてそれは、強い武力を持つものに取り入ることであり、利用することでもある。

こうして考えるだけでも、名士という存在の強さを思うことができる。したがって彼らは君主に対して絶対服従の関係にあるのではない。君主の不当な命令に従えば、名士を成り立たせている名声が地に墜ちる。だから名士は君主に対して対等に近い協力者であろうとした。もちろん君主の側も名士を牽制せずにはおれないわけだ。君主は武力を持っているのだから。

一方で君主の側も名士を必要とする。地域を円滑に支配するためには名士のネットワークを必要とする。名士はインテリ層であるから行政能力がある。行政能力と、互いを評価し合うことで交流しあう繋がりと、互いの情報を交換し合う情報網が、名士にはあった。これは明らかに、地域を支配するために必要なものであり、君主としては取り込まざるを得ないネットワークであった。

本書では述べられていない(はずだが)、名士が駆使したであろう漢文を元にしたコミュニケーション能力が、行政処理や情報収集、さらには戦略の策定に大いに役立ったことだろう。また、互いの文化が同じということで、漢文による文章での付き合いだけでなく、実際に顔を合わせての(口頭での)付き合いも円滑に進みやすかったのではないだろうか。というのも、私が岡田英弘に教わったところによれば、中国大陸には様々な地域から様々な部族がやってきて、定住してきたのだから、互いのコミュニケーションに骨が折れたはずである。今の日本人には想像がしづらいくらいに。だから互いに理解しづらい。信用し合いにくい。そんな中で、同じ文化(学問と漢文)を元につきあえる名士のネットワークは、かなり強固な絆を築いていたのではないか。

劉備の長い放浪の背景

劉備が孔明を得たのは旗揚げして20年近く経ってのことである。本書によれば、劉備はそれまで名士をとりこむことができなかった。だから地域に基盤を持つことができず、各勢力を転々としたのである。劉備の放浪には、ちゃんとした理由があったのだ。ちなみに、上述したように曹操も荀彧などの名士層を取り込むことによって成功した。孫権も、最初は周瑜や魯粛、張昭などの少数の名士しか味方がいなかったが、赤壁の戦いにて曹操軍を撃破したことによって地盤を確立していったのだ。

九品中正法の意味

高校の世界史で習った歴史用語の一つが九品中正法である。この法律も、名士の視点から捉えれば理解が明確になる。これは三国時代から実施された官吏登用制のことだ。官吏として人材を採用するにあたり、各地域ごとの中正官という採用担当者が、地域で「この人は賢明だ」と評価されている人を選ぶ。そして、その中から上から下まで9等に分類し、序列をつけ、その上で官吏として採用することにしたのである。ただしこの中正官は、採用する地域の出身者であったことから、自然に地方勢力家の出身の子弟が選ばれることになり、そしてこの制度の結果、「上品に寒門なく、下品に勢族なし」と言われるにいたった。上品と下品とは、9つの分類の上と下のことである。

なつかしい受験勉強の復習をしたのであるが、この九品中正法を名士の視点から本書は捉えているのだ。名士の視点から見ることによって、この制度の具体的な(政治的な)意味がわかるのである。余談だが、どうして高校の世界史のテキストというのは、こういった面白い部分をわざと記していないのだろうか?まあ、無難で中立っぽい説ばかりをチョイスして教科書に記しているんだろうから、しょうがないか。

こうして名士は自身の勢力拡張のために官吏登用制度を作ったのだ。中正官は各地域の出身者であるから、そこで名士のネットワークを築き上げていたことだろう。そこから中央政府へと人材を行き渡るようにしている。そういうことなのだったのだろう。

有力な名士の一人であった司馬懿が主君に対してクーデターを起こし、やがて彼の孫が主君の国を倒して新しい国を築き上げたが、その背景には名士の強大なネットワークがあったというわけなのだ。


権力ネットワークの中にいた姜維

以上、本書の最初の20ページ足らずを紹介しただけなのであるが、これだけでも三国志ファンにとっては重要な意味を持つ内容となっているのではないだろうか。三国志を政治として捉えるために、その背景にあるものまで踏まえる上での格好の書であると私は思う。

こういった基本的な枠組みを経て、劉備と諸葛孔明、曹操と荀彧、孫権と周瑜などの関係について改めて思いめぐらせば、きっと新たな発見が多いことだろう。ちなみに私が少し思ったのは、蜀の姜維についてである。

姜維は孔明の後継者であり、彼の意志を継いで北伐(魏を滅ぼすために兵を挙げ、北上する)を何度も起こしたのだった。彼は何故、孔明に若くして見出され、敵国出身者でありながら重用され、軍事のトップに上りつめることができたのだろうか?  

それは、彼が名士であったからではないか。彼が蜀の北伐の対象である地域(涼州や雍州。姜維は涼州の出身)であり、彼がそこの名士の一部であり、ネットワークの中にいたからではないか。であれば上述のように、名士は地域の有力層であったから、そこと付き合いのある姜維は北伐には大いに活用できるのだ。姜維と、その背後にある政治的なネットワークは、姜維個人の単体の能力を超えた、大きな権力である。


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「アメリカに食い尽くされる日本―小泉政治の粉飾決算を暴く」森田実・副島隆彦著 [政治・経済評論]

現実の政治を動かしているものを人・金・イデオロギーなどのリアルな視点からとらえ、小泉政権を内部から分析する


アメリカに食い尽くされる日本―小泉政治の粉飾決算を暴く

アメリカに食い尽くされる日本―小泉政治の粉飾決算を暴く

  • 作者: 森田 実, 副島 隆彦
  • 出版社/メーカー: 日本文芸社
  • 発売日: 2006/07
  • メディア: 単行本

アメリカによる日本支配の構図

本書は著名な政治評論家二人による小泉政権批判の書であり、次の時代を展望するものでもある。小泉政権のもたらした負の遺産だけを指摘し、嘆くだけではなく、日本が次の時代を明るく生きていくために何をすべきかも語るのである。

今や私も含めた一般の人々も、小泉政権がアメリカによって操られた属国としての政権であることは薄々感づいている。本書を読むことによって、いかに私達の代表が構成している(ことになっている)政府がアメリカによって影響を受け、翻弄されているかがわかるだろう。それは具体的にはどのようなことなのか。私が本書から学んだことをいくつか並べてみる。

・アメリカ政権との強い結びつきを持つ者が日本政界において強い影響力を持つことになる。日本におけるア メリカ人脈のボスになれる。

・政治家は自らのピンチをしのぐためにアメリカに助けを請い、助けてもらえる。しかしその見返りに、アメリカの要求を飲まざるを得なくなる。その一例として金融改革がある。

・官僚は若い内にアメリカに留学に出してもらい、そこで洗脳される。そして帰国し、彼らが日米交渉の主役となるのだ。アメリカの思想に染まり、それに従順な人々が交渉に当たるのだ。
 (この指摘を受けて私が思うに、おぼつかない英語力で短期間の内に必死で勉強するしかないのだから、様々な学説を幅広く検討したり、理論と現実の温度差を詳細に感じ取る暇はないだろう。くわえて、自らの立身出世のためもあって、どうしても流行りで主流で、今現在の政権に最も影響力を持っているようなことばかりを学んでしまうのではないだろうか。そしてそれは、アメリカの国益を強く反映したものであって、日本の国益ではないのである。)

・日本の財政危機とは、アメリカ従属の結果である。つまり、米国債を買ってアメリカ経済を支え続けなくてはならないのであり、それによって日本のマネーが流出するのである。ちなみにこのことは、副島隆彦は98年に発表した「日本の危機の本質」という著作において既に論じている。今でもマネー流出は続いているということになる。

他にも対米従属の構造が本書において様々に論じられているので、詳細は実際に読んでみて知っていただきたい。ただ本書は日本の暗い現実を指摘するのみではなく、未来の希望も論じている。それは具体的には小沢一郎による政権の実現であり、それによって成されるであろう対米従属からの脱却の試み、平和への試みである。また、何かときな臭い中国との関係であるが、これも一方では日中の平和を推進しようとする人々がいるのであり、中国の環境問題の解決のために日本の技術力で貢献できることがある。また、中国には親日的な政治家もいるのであることを忘れてはならない。

扇動され、利用される庶民

この中国との関係についても言えることなのだが、私達庶民は、政府の上層部の人間や、政府に深く絡むことで自らの利権を保持し強化しようとする人々によって狙われ、翻弄される。政府やマスコミが発表し、私達を刺激する反日・反中国の言説をそのまま受け取ってはならない。その言説の裏には何があるのか。誰が何を狙っているのか。誰が得をするのか。その言説を口にする人の背後には誰がいるのか。誰が金を出すのか。情報を出すのか。こういった視点が必要である。

こういったスタンスの重要性を説くのが副島隆彦であり、それに騙されるなとも説く。彼の情報分析は言説の表向きの意味の裏にあるものを教えてくれる。「騙される」とは例えば、憂国の情熱から中国を批判しただけなのに、それが日本と中国との戦争につながることである。それを望む人々がどうもいるらしいのであり、そうであれば、彼らは金と情報操作を駆使して一般大衆をどの方向に導こうとするのだろうか?こういった視点が必要なのだと私は思う。実際に戦争 が起きたら、駆り出されるのは一般の若い兵士達である。煽った人々ではない。

強大な権力を持った人々に利用されないために

私は副島隆彦の本を読むと、この世界が人間によって積極的に働きかけられてつくられているのだと実感する。つまり、金や情報、武力などの実際の権力を行使できる立場の人々によるせめぎ合いである。その結果が私達庶民に落とされてくる情報である。マスコミによる日本批判・中国批判の裏にあるのが前述のせめぎ合いなのである。ゆえに、それに疎い一般の大衆こそが利用されるのである。

したがって、世界の動きを上の視点からマクロにとらえ、表向きの言説、さらには制度や改革の背後にどのような人々のどのような思惑があるのかを理解し、その中にある金やイデオロギーとそれらに基づく権力の実際の有り様を分析することができる人材こそが、国民のために必要なのだ。私が思うに、副島隆彦こそはその人なのである。


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「絶海にあらず」 北方謙三著 [歴史小説]

「藤原純友」とは何者だったのか。それは、時の権力者が自身の得になるように管理・統制した経済体制を打破すべく活動した者である


絶海にあらず〈上〉

絶海にあらず〈上〉

  • 作者: 北方 謙三
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2005/06
  • メディア: 単行本

藤原純友(ふじわらのすみとも)って?

本書は藤原純友を主人公とする小説である。藤原純友とは何者か。<多くの人にとって、彼は日本史の教科書の一ページを埋めるだけの存在であり、テストのために暗記する対象であるにすぎない。

「藤原純友の乱」なる反乱を939年に起こした首謀者であり、藤原という性からして、時の権力者である藤原氏一門に属する者ではあるようだ。彼のような、権力者側の人間がわざわざ背いたのは何故なのか。彼に何があったのか。何を見たのか。それに応えるのが本書である。

権力者に管理・統制された経済

平安中期に藤原氏の傍流の家系として生まれたのが純友だった。彼は出世に興味が無く、京都の学舎で学問と武芸に打ち込んでいた。しかし、あることがきっかけとなり、権力者側の人間の一人に目をかけられ、地方長官の副官として伊予(現在の愛媛県)に派遣されることになった。純友が伊予で見たものは、豊かな自然の恵みであった。一方で、その恵みを存分に流通させることによって国全体を富ませることを阻む政治体制であった。

海の通路を活かして存分に交易を行わせることによって国全体を富ませることをのぞまない勢力がある。それが藤原氏であった。彼らが日本を支配しており、ゆえに地方の豪族も彼らには逆らえない。伊予で権勢を誇っている一族は常に藤原氏のことを気にかけながら生きていかなくてはならないのであり、その意味で自由に自らの権力を活用することができない。統制されている。

藤原氏は外国(中国)との貿易の利益を一手に引き受けており、それ以外の勢力が利益を得ることを排除している。さらには、流通を統制することによって商業の利益を藤原氏が最も得られるようにしている。その仕組みのおかげで、伊予の自然の恵みが海の道を通って日本国全体へと行き渡ることはなくなっているのだった。せっかく伊予という国を支配している豪族であっても藤原氏には逆らえない。ゆえに伊予で交易および関連の商いをして生きている人々の生活も苦しいままである。

純友は、このような支配体制を敏感に察知したのだった。実際に伊予の国を自らの足で山から海へと渡り歩き、そこで生きる様々な人々と交流を重ねることによって。伊予の海を気に入った純友は、己の本分が海にあることを知り、海で自由に生きることをのぞむようになる。そして、自由に生きることを阻んでいるものに対して戦いを挑むことになった。ただし、明確に藤原氏に逆らうことを宣言したのではなくて、徐々に今の体制を突き崩していくことを選んだのだった。それは成功し、人々の暮らしが豊かになり始めた――以上が上巻までのあらすじである。

支配的で陰湿な人間関係

実際に読んでみると、以上のあらすじを物語としてきちんと展開されているから楽しく読み進むことがでる。私が特に面白いと思ったのは、伊予で一番の権力者である豪族の描かれ方である。彼らは自然に恵まれた伊予を支配しているが、常に藤原氏のご機嫌を伺いながら生きていかなくてはならない。また、その豪族の当主は名目上はナンバーワンの地位であり、偉いはずなのだが、隠居しつつも院政をしきながら息子への影響力を保持している父親という存在がある。父親には息子が跡を継ぐまでに築いてきた実績があり、それは隠居しても消えるものではない。

その象徴として、当主のそばにいて、家の世話をする係りの者がいる。この世話係は当主が任命したものではない。父親が当主のために用意したものであり、子供の頃からそばにいるのだ。子供の頃からそばにいて、自身の過去の様々な弱みなども握っているであろう者が身近にいる。彼は父親が任命した者である。だから彼を解任することはできない。世話係だからといって簡単には首にはできないのである。こうして、地方一の豪族といえども、常に上の者を意識しながら生活しなくてはならない。実に陰湿な管理体制である。

そして、彼らの上には藤原氏がいて、彼らの自然の恵みを存分に活かすことを許さない。恵みが日本国全体に存分に行き渡ることもない。

自由を求める

このような世界にやってきたのが藤原純友なのだ。彼が手始めにやったこと。それは、海の道を自由にし、経済を活発にすることであった。この影響は既に藤原氏も察知している。一体どうなるのか。続きは下巻を読んで確かめることにしよう。・・・と言ったのは、実はまだ私は下巻を読んでいないからなのだ。きっと面白いだろうから楽しみにしている。

ちなみに、次に引用する文章(小林宏という人のもの)が、この小説について面白く意味づけているので紹介したい。

「20世紀研究会」講義ノート 2005年8月26日から転載開始)

「絶海にあらず」は藤原純友を題材としている。平安朝初期に藤原氏は中国と貿易して儲けた。唐物(からもの)貿易と言う。儲けた金で藤原氏は権力を得た。さらに庶民の必要物資の全国への流通を禁止した。品物を少なくしておいた方が商人が儲かるからである。これに対して純友は怒り、庶民のための流通を盛んにさせようとした。唐物を運ぶ船をどんどん襲ったのである。彼は単なる海賊ではなかったのだ。同じく庶民の為を思い、同じ唐物貿易でも平清盛と藤原純友ではその行動は全く違っていたのである。

唐物貿易とは今の自由貿易である。本来なら自由貿易を行えば国内流通が活発になり庶民が楽になる。しかし、グローバリズムに乗った自由貿易では権力者のみが富む。庶民は年金すら危うくなる。どこかで自由貿易の主旨と反したことをやっているのである。

(転載終了)


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